2021-03-19 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第11号
あれは、古代エジプトの新王国時代、今から三千年から三千五百年前の古代エジプト人の死生観、死の捉え方を現時に伝えるという。紙というものは保存に非常に適していた、パピルスは紙の一種ですけれども、といったことが分かっています。例えば、人類がいつか生物として滅んでいった場合も、パソコンとかの電子ファイルは一切消滅して恐らく残らないでしょう。
あれは、古代エジプトの新王国時代、今から三千年から三千五百年前の古代エジプト人の死生観、死の捉え方を現時に伝えるという。紙というものは保存に非常に適していた、パピルスは紙の一種ですけれども、といったことが分かっています。例えば、人類がいつか生物として滅んでいった場合も、パソコンとかの電子ファイルは一切消滅して恐らく残らないでしょう。
また、ことしの四月十六日には、宮崎県日南市の油津港に寄港した上海発のクルーズ船から五名のエジプト人が失踪しまして、五時間後に兵庫県で発見され、入管法違反の疑いで逮捕されているという事案もございます。難民を偽装して就労しようとする外国人の仲介組織が国内にある可能性が指摘されておりますので、そういったことも法務省としてぜひ捉えていくことをお願いしてまいりたいと思います。
問題を感じていらっしゃる部分で、特に、アラビア語が話せるエジプト人の医師をトルコのホストコミュニティーに派遣する費用を例えば日本が負担して、さらにはシリア難民受け入れで疲弊しているホストコミュニティーを支援するなどという問題の意識でございます。
もともとザワヒリはエジプト人でございまして、チュニジアの動静を細かく見ているなということが看取されるとございます。 このチュニジア、実は十日から一部過激派が暴れて、夜間外出禁止令が出ていました。十五日には解除されましたが、この暴動の動きとアルカイダ本体との直接的な関連性を挙げるような物証はまだ出てきてございません。
イラク人の顔をした人が治安をやるのと、そうではない、別のエジプト人がやるのとか、何人がやるのとか、同じアラブ人でも多分受け取る感情が違うんじゃないかなと思います。
訓練センターでは、エジプト人に対する研修のほか、アフリカ、中東の第三国から招いた研修員に対するいわゆる南南協力も行っています。我が国が供与した機材は大切に使用されていますが、相当古くなっている機材も見受けられました。訓練センターは、エジプトの建設関係者の間では日本のセンターという名称で知られており、その修了証明書は大変高い信頼が寄せられているとのことでございます。
まあ、バース党政権の責任者であろうと、あるいは市井のイラク人であろうと、やはり相手はなかなか海千山千の、アラブの中でも、例えばエジプト人に比較いたしましても、さんざんオットマン帝国、それより前にモンゴル、オットマン帝国、イギリス、ロシア等に征服され、占領され、そういったような経験がありますので、海千山千であると。
インド人のムスリムのムハンマド・バラカトッラー、これは当時の東京外国語学校の教授でありますが、それとエジプト人のアフマド・ファドリーという、この二人の人物が東京でこういうものを発行していたわけであります。 こういうふうな形で、一世紀前の日本というのは非常にイスラムに対して関心を持っておりました。
そういうところでは、こういう複数のアイデンティティーのうちの、自分が持っている複数のアイデンティティーのうちのどれを優先するかということが大きな問題になってくるんですけれども、そういう場合に、それ以前の例えばエジプト人という意識よりもムスリムという意識をより前面に出す。これは、例えばエジプト人とかアラブ人という意識を否定するわけじゃありません。
それで、二十世紀には昔の王朝がだんだんとなくなっていって国民国家になったわけですので、普通はそれぞれの国の、エジプトならエジプト人ですし、バングラデシュならバングラデシュ人だという意識を持っているわけですので、そういう人たちが、イスラムが復活してきたときに、やはり国々は違っていても共同体なんだというようなことを言うというそこのところがポイントだと思うんですが。
しかし、今回、犯人と言われているビンラディン氏はサウジアラビアのもともと人物であって、そしてそのテロ集団は、エジプト人もいれば他の国々からの人たちもいる。ある意味では多国籍なテログループ、ゲリラグループであって、その存在も、今アフガンに最大の拠点があると言われておりますが、必ずしもアフガンに限らない。
そのほかにも、このコソボには、ボスニアの内戦のときによく出てきたムスリム人というイスラム教徒が七万、それからいわゆるジプシーと称されるロマの人たちが五万、それからモンテネグロ人が二万、そのほかにトルコ人であるとかエジプト人と称される人だとか、あるいは山岳の少数民族が存在しています。
そこで、古代エジプト人は、ミイラをつくる、そして保存するということにいたしました。必ず生き返って再び活躍するんだ、そういう思いであの古代エジプトの文化というものが大きく花を開き、今日、私たちにいろいろなことを教えてくれているわけです。 その生き返るミイラをつくるときに、そのままやっておくと腐ってしまう。
この拘置所の事例も、新聞で見る限りは、例えばエジプト人に対するものは、他の収容者と立ち話をしようとしたことなどを理由に、これだけが理由というのはいかにもこれまた新聞の報道もずさんだろうと思うけれども、やはり言葉の行き違いだとか、何かそういうところから刑務官も感情を害してというように推測できないこともないのだけれども、しかし、やはりこの暴行を受けたなどということを言われているわけで、あったとすれば決して
、これは恐喝罪で逮捕されて拘留をされて裁判中の人間ですけれども、一人はエジプト国籍の人、それからもう一人はナイジェリア国籍の男性、この二人が、これは別々だろうと思うのですけれども、拘留中の東京拘置所において刑務官から暴行を受けた、スペシャルルームと呼ばれる部屋に拘禁された、恐らくこれは保護房のことを言っているんじゃないかと思うのですけれども、それで右の耳が一人は聞こえなくなったなどという、これはエジプト人
そういう具体的な問題がありまして、すぐ行けと言われても無理ということで、国際貢献の場合にいつも日本側が言われているツー・レートということで、あっという間にたった二匹の防災犬を送ったフランスが、瓦れきの中から二人のエジプト人を救出したということはカイロでは大変なニュースになるわけです。
エジプト人は、我々が現地で、エジプトで聞いた話では、イラクに公式百二十万人、実際には八月二日の時点では恐らく二百万人いただろうと言われているのです。そして現在でもイラクのパブリックな部門で働いている方が、エジプト人二十五万人はいるでしょう、イラクで家や土地を持っている人、エジプト人だけで十五万人はいるだろう、こういうふうに言われているわけであります。
調べてみますと、クウェートには九十一万人のエジプト人及びアジア系の労働者がいる。白人はわずか千か二千でございます。この連中が着のみ着のままで逃げ出すというときに、私は現地に暮らした経験がありますので、彼らののどの渇きを真っ先に思ったですね。
建物はありますけれども、いわゆるスタッフが職場を捨てたために、言うなれば実際機能してない二百床あるいは五十床あるような病院がございまして、この辺の地域のお医者さんは、御存じのように、当然サウジアラビアでございますから、サウジアラビアのお医者さんが中心でございますが、周辺のインドとかパキスタン人あるいはシリア人、エジプト人などのお医者さんもこの辺は当然多いわけでございます。
今申し上げましたように、在日の朝鮮・韓国人を初めエジプト人、ブラジル人あるいはニカラグア、台湾、いろんな国の方が参加をしている学級がございます。そして、その中での主流がやはり識字ということになっていくんじゃないかというふうに思っております。
○関説明員 現在事務局長は、アルジェリア国籍のアブデル・ラーマン・カーン、次長はエジプト人のアズミ・アフィフィという方でございまして、いずれも任期は昭和五十七年までとなっております。邦人職員の数は現在九名おりまして、二名が技術移転部長代行、さらに投資協力計画室長代行というポストをそれぞれ務めております。
いろんな外国人が入っている、エジプト人を初め、あるいはパレスチナ人等々、あるいはパキスタン人、インド人というぐあいに。こういった中で、もちろんいまここで歴史を云々と言うわけにはいきませんけれども、長い歴史の中には、栄枯盛衰といいますか、興亡ただならないものがある。そういう人たちによって時には政府が転覆される、王制が転覆されるということが繰り返されてきた。